1892年 (明治25年) | 組合の前身である同業組合を設立。国内向けの綿織物が主。 |
1920年〜 (大正10年) | 東南アジア向けの輸出が盛んとなる。 |
1923年 (大正12年) | 関東大震災により横浜港が使用できなくなったため、神戸港が貿易港として発展。 |
1930年 (昭和5年) | 年間生産数量が1億平方メートルになる。 |
1955年頃 (昭和30年) | 欧米諸国、中南米、アフリカ、中近東への輸出量が増えてくる。 特にアメリカ向けのギンガムの輸出が活発。 |
1965年頃 (昭和40年) | 綿織物から合成繊維、麻など多様化が進み、設備の近代化を進めた。 |
1973年頃 (昭和48年) | ・オイルショックを境に日本の経済は転換期にさしかかり、急成長の時代から安定成長へと移行したため、企業間の生存競争が一層厳しくなった。 この頃から従業員が減少し始め、分業化が進行する。
・特に、播州織業界は、中小企業、零細企業が主体で、分業して生産をしているため競争力の弱さは避けられず、厳しい景気変動の荒波をまともに受ける。 |
1981年 (昭和56年) | 香港での見本市を開催。以後平成5年(1993年)まで、13回実施。 |
1985年 (昭和60年) | 円相場高騰。輸出比率75%の播州織産地は大打撃を受ける。 この頃より国内向け需要に力を入れる。 |
1987年 (昭和62年) | 生産量のピークとなる(387,769千平方メートル) 国内市場拡大のため、大阪で第1回目の見本市を開催。 以後毎年開催し、平成8年(1996年)まで計10回行った。 |
1992年後半 (平成4年) | バブル崩壊。急激な国内需要が減退し、円高で繊維製品の輸入が急増。市場を大きく圧迫。 |
1994年 (平成6年) | 形状記憶や形態安定シャツがブームとなる。 後半は円高になり、輸出物は打撃を受けた。 |
1995年 (平成7年) | 1月に阪神大震災。港、道路の破損によって一時は輸出物の出荷に影響が出た。現在では回復。 この年の3月、80円を割る超円高になり、輸入が急増。 第1回東京見本市を開催する。 |
1998年 (平成10年) | 国内景気が一段と深刻さを増し、需要が減退。 生産数量も前年比8%の減少。 |
2001年 (平成13年) | 組合員の減少により、4月に4工業組合合併する。 市況については、前半においては少し回復していると思われたが、後半になって一段と市況が悪化し、近年にない最低の生産数量となった。 |